みなさん、こんにちは。mikoです。
最近は旬な野菜だけではなく、果物もよく買うんだけど、梨とぶどうの食べごろはもう終わりなのかな…?
スーパーでは柿とみかん売り場のスペースが広くなってきた気がする。
みなさんがよく行くスーパーはどうですか?
みかんを見つけると、なんか年末っぽさを感じるんだよね。
「みかん=こたつ」みたいなさ。
年末にはまだ早いけど、冬が迫ってきているような感覚っていうか。

そして、気づけばもうすぐハロウィン!
みかんを見ていたら、子どもの頃を思い出してお絵描きしたくなっちゃったから、みかんのおばけを描いてみました。
自分が幼稚園児だった頃、お弁当の時間にみかんを持っていくと、先生が絵を描いてくれたんだよね。
それがすごく楽しみで、描いてもらえるのがとても嬉しかった。
みかんのお絵描きは大人気で、友達と一緒にみかんを持って一列に並んだ記憶がある。
描いてもらったそのあとは、絵をちぎらないように丁寧に皮をむいて食べてたな。
でもね、途中でちぎれたりすると、悲しくなるんだよね…「か、かおが!!」って。
みかんに顔を描いてもらっただけなのに、それだけで生きものを扱うような、そんな気分になるの。不思議だよね。
みかんのお絵描き、なんかやってみると楽しかったから、みなさんも是非!
あと、みかんを見つけて年末を感じたって言ったけど、ハロウィンを過ぎたらそこからが早いよね。
クリスマスケーキ、おせちの予約も早いところだと始まってるみたいだし。
私は12月が誕生月なので、クリスマスが近づくたびに、街がきれいに装飾されるたびにさ、なんだかちょっぴり切なくなるんだよね。
あ、また1つ大人になるって…もうすでに十分、大人なんだけどね。
まだ私が子どもだった頃、大人という存在が私にとっては敵だった時代は、大人になんか絶対にならないって思ってたのね。
まあ…へんな話さ、大人になる前に消えてやろうぐらいな気持ちだったのね。
ネバーランドが本当に存在するなら、行ってやろうぐらいな。
大人を信用していなかったから、特に憧れもなかったし。
ただ、なんだかんだ今は大人として生きている自分がここにいる。
いや…あっという間だったね。それに、子どもから大人になる瞬間って、正直なんも大差ない。
「えっ!?これでもう大人なの?」みたいな。
大きく変わることは、法律上、大人としてできることが増えるってこと。
できることが増えるとそのぶん、大人としての責任がそこには生まれる。
大人になんかなりたくないって言ってたけど、大人になったからこそ気づいたことがあるのね。
「あれ?ちょっと待って…法律上、大人って扱われるようになったけど、私ってすでに大人じゃね?なんなら、こいつらより大人じゃね?」みたいな。
あ、ごめんね。口の悪い私がでてきてしまった…でもさ、そのときはそう思ったのね。
大人が嫌なんじゃなくて、大人になれない大人が多すぎたんだって。
子どもなのに、大人として振る舞っていた自分が無意識にいて、大人ではないから権利も弱くて。
大人なのに子どもみたい。だけど権利だけは強くて、子ども扱いしてくるような大人に腹が立っていたんだなって気づいたのね。
「大人」ってなんなんだ?ってなるよね。
大人は自由に行動できるぶん、責任も伴うはずなのに、あれ…?みたいなことも多いし。
えっと…中学生ですか?みたいな事象もあったりするじゃん。
要はさ、法律上では「大人」になるけど、大人としての権利も獲得はできるけど、内面はそれに伴ってないってこと。
…だいぶ失礼なことを言っているのはわかってる。でも、実際そうじゃん。
自分もそんなに立派な大人なのかって言われたら、「はい、そうです。」とは言えない。
じゃあ、なにが言いたいかっていうと、「大人」と「子ども」ってことだけで、区別しすぎて関わるのは違うのかなって。
もちろん、そうはいってもさ、子どもの発達段階とかも先生をやってたから知ってるし、ある程度は年齢に合わせた対応も必要だよ。
でも、まずは「大人」とか「子ども」の前に、ひとりの人間として関わるってことが大事だなって。
それに、大人だからこうあるべきって考えも、よく考えたらおかしいのかも。
ただ、法に触れるような行動は別だよ。生きていくうえで、必要なルールもあるからね。
もうさ、お気づきだと思うけど、私は結構…性格が悪いと思うのね。人を見下すような部分もあるのもわかってる。
正直に言うと、「大人なのにこんなこともできないのか…」みたいに、思っちゃうこともあったよ。
今はそこまで思わなくはなったけど、自分の奥底にはまだ、そういう自分も眠っている。
そういえば、ちゃんとお伝えしたことがなかったけど…というのもね、詳しい肩書を書くのには少し抵抗があったのね。
でも、最近は他にもいろいろと、自分のことを書いちゃってるし、もういいかなって思い始めたので書きますね。
先生をやってたって、今までは大きな括りでお話ししてたんだけど
幼稚園の先生と、24時間の託児所の先生と、保育園の先生と、児童発達支援事業所で児発管っていうお仕事をしていました。
あ、ちなみにいろいろやったけど、ころころ転職したわけではないからね。
それなりに責任をもって務めてきました。全部合わせると、16年ぐらいにはなるのかな…
最初は子どもが好きだからで始めたけど、子どもたちと関わるうちにね、自分が教える側だったのに逆に学ぶことというか、気づかされることも多くて。
それで、子どもたちの発達支援に興味を持つようになってからは、大人もわかっていないだけで、支援が必要な人がこんなにもいるんだって気づかされたのね。
私が昔、敵だと思っていた大人も、そこの背景には別のなにかがあったんだなって、いろいろなことを勉強したり、たくさんの人と関わることで理解できたというか、腑に落ちることもあって。
私がいかに無知だったかってことに、子どもたちと関わる仕事の中で気づかされて、多くの学びと経験をさせてもらった。
人間ってさ、私もそうだけどほとんどの人が、自分が知っている情報が全てだと思って行動しちゃうと思うのね。
実はそれは、とても狭い小さな箱の中だったとしても、その箱が全てだと思っているうちは、その中で起きることしか理解できない。
その箱も、誰かが適当に作った箱で、そもそも箱の中に収めることが変だってことに気づかない。
その箱に疑問を持たない限りは、そこで終わりなんだよね。
私はさ、もともと「なんで?」「どうして?」って、探求したくなる性格ではあったから、そこは良かったなって思ってる。
ある程度理解できると、次は別のことを知りたいな、学びたいなって思うタイプ。
悪くいうと、ある程度理解できるとさ、あきちゃうんだよね…熱しやすく、冷めやすい。
今となっては、そんな自分だったからこそ、疑問に思って学べたことも多くあるなって思うから、そんな自分も好きだけどね。
それでさ、たくさんの人とお話をして思ったんだけど、あたりまえなんだけど、誰一人として、同じ人間はいないってこと。
自分がさ、相手をこういう人間だって、今まで出逢ってきた人とか、なにかで得た情報だけで判断するからそこでズレが生じて
自分が思った枠とズレたときに、「なんでこうじゃないの!」「どうしてこんなことするの?」ってなるんだってわかったんだよね。
私の言いたいことわかります…?自分が思うあたりまえと、他人が思うあたりまえが必ずしも一致しないってこと。
まれに一致することもあるかもしれないけど、全てが一致するなんて、クローンでも作らない限り無理だと思うのね。
だから、他者を理解するには、どうしてそんなことをしたのかを話し合うしかないわけ。
話し合わないで、一方的に全て相手が悪いと決めつけるのは違うと思うのね。まあ、あくまでも私の意見だけど。
だってさ、自分にとっては不正解でも、相手にとってはそれが正解で今まで生きてきた可能性もあるから。
で、話し合ったうえで、自分の意見を伝えればいいと思うのね。そのときにさ、自分の価値観とあまりにも違うとか、いろいろとわかるじゃん。
「あぁ、この人はこんな考えをもってたんだな」って、相手を知るうえでもとても大事なことだし。
相手とちゃんと話したわけでもないのに、自分の価値観だけで一方的に判断して、都合が悪くなったから「さようなら」は、なんだか悲しいよね。
みなさんからしたら、私も変な奴だと思うのね。でもさ、実際に会って話さないと、どんな人間かなんてわからない。私もみなさんのことはわからないし。
だからこそ、新しい出逢いってわくわくする。学校や習い事で出逢う友達、共通の趣味をもった仲間、職場の仲間…etc.
ただの噂や、人の外見、周りの評価だけで人を判断するのではなく、まずは話してほしいなって。
これは私の経験上だけど、実際に話してみると想像していた人物像とは、全く違ったりするもの。
周りからいい評価をもらっている人物が…
みたいなこともあるから、自分を守るためにも人を判断するときには、ちゃんと話をしたほうがいい。
あれ…?みかんおばけの話から、いつの間にかこんな話に。
今日は「相手を知るためには、しっかりとコミュニケーションをとりましょう」っていうテーマに、気づいたらなっていた。
なぜ、これを書いたのか自分でもよくわからないけど、必要な誰かに届きますように☆
さて、そんな今日のおすすめ曲は
KinKi Kids「変わったかたちの石」
すてきな曲なので、みなさんも聴いてみてね♪
今日も最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
それでは、また次の記事でお会いしましょう!

コメント